バークハート・ディンケラッカー氏との出会い

2011年08月05日

バークハート・ディンケラッカー氏との出会い

写真2001年3月、メッセ・デュッセルドルフにて、
靴を手に説明中の当時社長のMr. Burkhardt Dinkelacker バークハート・ディンケルアッカー氏。


 2000年9月、その日、私はドイツでの仕入を終えて、日本へ帰る飛行機の中でした。私の座席の隣はドイツ人でした。その人は日本語の新聞を読んでいました。何かのきっかけで話し始めました。そのドイツの人が2年程しか日本にいないのに、日本語に堪能なのは、2年前まで5年間台湾にいて、漢字を覚えたので日本語に楽に入ることができた、ということでした。ドイツの政府に間係した産業新聞の特派員である、ということでした。


 私に「ドイツで何をしてきたか」とたずねるので、「靴の仕入をしてきた」といったところ、「ドイツで最もコンフォータブルな靴があるが知っているか」というのです。ブランド名を「ハインリッヒ・ディンケラッカー」というのだと、教えてくれました。

 私はコンフォートという言葉から、日本流のコンフォートシューズを思い浮かべ、フィン・コンフォートとか、ビルケンシュトック、ガンター、メフィストなどと同様の靴かと思いました。しかし、価格を聞くとそのドイツ人は少し考えてから、「日本円で10万円ぐらいの感覚かな?」というのです。つまり、ドイツでは1000マルクぐらいするのだが、それは物価から感ずる価格としては日本にいれば10万円という感じだ、というのです。当時1マルクで為替は60円ぐらいでしたが、確かに物価からするとドイツでは10万円の感じでした。


 「これはまたコンフォートシューズとしては高い靴だなあ。」と思ったのですが、コンフォートはもちろんはきやすいという意味なので、いわゆるコンフォートシューズの類ではなさそうだ、とは考えていました。彼はブランド名をメモに書いてくれて、その会社のある町の名前も書いてくれました。


 デュッセルドルフのGDSという世界一の規模の靴の見本市があります。私もそこで仕入しているのですが、GDSにはもしかしたら出展していないかもしれないから、というのです。(実は出品していたのですが。)


 いずれにせよ、そんな高い靴がドイツにあることは知りませんでした。「ハインリッヒ・ディンケラッカー」というブランド名も初めてでした。はたして、どんな靴なのか、次回の出張の折にぜひ見てみたいものだ、と思いました。


 翌2001年3月、デュッセルドルフのGDSでの2001年秋冬物展示会に出かけました。目的の1つは「ハインリッヒ・ディンケルアッカー」を見ることでした。4日間の展示会の初日に訪れました。ディンケラッカーのブースは、GDSの中では多分一番小さいブースの一つかも知れません。日本から来た、というと、ちょうど昼ご飯に出かけようとしていたディンケラッカー社長を、秘書らしい女性が呼び止めてくれました。後で聞くとその秘書らしい方は、ディンケラッカー夫人でした。


 私は、飛行機の中で出会ったドイツ人からディンケラッカーのことを聞いた、と話しますと興味をもたれた様子でした。
 ディンケラッカーさんは、お名前をバークハート・ディンケラッカーといい、60歳を過ぎているように見える初老の紳士でした。いかにもドイツ人らしく背が高くがっしりした体つきの人ですが、お年のためか、優しそうで、低い声でゆっくりとした英語を話され、私ごときでも充分わかりやすい英語です。靴の説明、作り方、革、工場のこと会社の生い立ちなどさまざまなことを話されました。
 ところで、ディンケラッカーという発音はディンケルァッカーと発音しても良いのかもしれませんが、最近出た雑誌によりますとディンケラッカーとなっていました。
 ちなみにその雑誌ではディンケラッカーはハンガリー・ブタペストの会社であるかのように書かれていますが、本社はドイツ、経営者はドイツ人のバークハート・ディンケラッカー氏です。ブタペストには工場があります。


 ハインリッヒ・ディンケラッカー社は12~3年前に設立されたばかりの会社です。しかし、その前身はバークハート・ディンケラッカー氏の祖父ハインリッヒ・ディンケラッカー氏が靴の製造会社を1800年代に興したことに始まり、その息子、つまりバークハートさんの父上が会社を大きく発展させて、アポロという名の会社に育てました。バークハート氏が18歳でアポロ社に入社した直後、父上が病で急死し、急遽バークハートさんが社長になります。バークハートさんは何もわからない若さで社長になったわけですが、苦労してアポロをドイツでも指折りの大きな会社に育てました。そして、12~3年前に、会社を売却、バークハートさんの趣味に合った手縫いの部門だけを自分のものとして、新しい会社を発足させたのです。アポロの頃からハンガリーのブタペストに人脈を育て、その人脈によって手縫いの工場を発足させました。工場は40人ほどの職人を抱え、1人1日1足のペースで手縫いの靴が造られています。


 ご自分の趣味というだけに、使用する甲革、裏革、芯、底材、糸や紐、箱などに至るまで世界中から取り寄せた一級品だけを使用して造られています。手縫いの技術はやはり世界一のブタペストの熟練した職人です。靴型(ラスト、木型)は会社発足時に新しいものを造ったほかには、すべて30年以上前のものをいまだに使用しています。はきよいと定評のある木型だから、「あえて新しいものは開発しないのだ。」とおっしゃっていました。「新しい木型をどんどん開発しているヨーロッパによくありがちなメーカーのようにはなりたくないのだ。」ともおっしゃっておられました。


 展示品は30点にも満たないほどでしたが、皆素晴らしい出来です。特にコバに派手な縫い目のあるものが気に入りました。その日は仕入せず、次の日に契約し、ディンケラッカー社長のお勧めの靴など4点を仕入れました。ヨーロッパから外にはまだ輸出したことはない、ということで、もちろん日本には初めてだ、ということでした。


 FOB価格は、今まで当店が仕入れたものでは最高額です。運賃や税金などを加えると、日本での売値はやはり10万円に近くなりそうだと考えられました。ともあれ、入荷は半年先の10月です。


 約束のように10月に入荷しました。期待にたがわず素晴らしい仕上がりの靴でした。このようにして、ハインリッヒ・ディンケラッカー社との取引が始まったのでした。


 以来、松本市や長野県のお客様はもちろんのこと、全国のお客様にもインターネットなどを通じて広まり、御買上ご愛用いただいております。お客さまからの評判もよく、その履き心地は今まで経験したことがないようなすばらしさだと、ご評価いただいております。2002年10月には、お客様からのご要望を取り入れたコードバン仕様のものや、マイスターシュトックも取り扱い始めました。


 ハインリッヒ・ディンケラッカーは、温かみのある家族的な社風と、ドイツとハンガリーの職人気質から生み出された靴の逸品です。ぜひこの靴のはきやすさを、当店にてお試しくださいませ。


もちろん全国に通信販売も致しておりますので、ご興味のある方はこちらのサイトをご覧くださいませ。



Posted by ヤマザキ屋 at 08:00│Comments(0)思い出

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